それっていったい何だったのか

私のツイッター(id:nattogohan_suki)の、ツイートしたときの気持ちを解説します。

サンシャイン池崎さんの単独ライブの当日券って五億円なんだ。

 

サンシャイン池崎さんを目の前で感じたいと思い、単独ライブのことを調べてみたら、去年の五月に開催されていたらしい。

サンシャイン池崎単独ギャラクシー第八撃「グラップラーZAKI」 - ライブ情報|ワタナベエンターテインメント

当日券は五億円

ちなみに、2019年のライブは4億円(税抜)、2017年は3億円だったらしい。

世界一面白いですよね。今度開催されたら、前売り券を買えるように頑張りたいと思います。

ベギラゴンよりメラゾーマのほうがいいだろ

 

 ぜったいにベギラゴンよりメラゾーマのほうがいい。ベギラゴン使うんならイオナズンメラゾーマだ。とはいえイオナズンもまぁベギラゴンよりはいいくらいのレベルだ。
 ベキラゴンは敵のグループしか対象にならないから、スライムAB、おおがらすABCみたいな敵構成のときはスライムかおおがらすどちらか一方しか倒せない。しかも、スライムやおおがらすみたいな弱い敵ならまだ倒せるからいいけど、ベギラゴンのダメージ量はそう大きくないので、なんか中途半端な感じで敵が生き残り、攻撃を食らうことになる。
 一方でメラゾーマは攻撃力が高いから、一点集中で敵を倒すことができる。ヤンキー漫画などでもよく言われている、弱そうなやつをグチャグチャにすることによって敵陣営を威圧し有利に立ち回ることができる、という戦い方が可能になる。ドラクエのモンスターは感情がないから、仲間がグチャグチャになろうがあまり関係がないが、一体減れば敵の手数が一つ減るから普通に戦いやすい。

 ダイの大冒険という漫画では、ベギラゴンが結構強めの魔法としてありがたがられているが、その内実はお粗末なものだ。ドラクエ自体ファンタジーなのに、そのファンタジーが漫画になることでさらにファンタジックになり、ベギラゴンが不当に褒められている。でも勘違いしてはいけないのは、ベギラゴンは弱い魔法だということだ。火がボウっと出て派手なので好きだから使う、以外の使い道がない。ドラクエのようなゲームは、基本的に戦いは最適な選択をする作業になるから、ベギラゴンは覚えたてで使ってみたいときか敵が弱くてまぁ火でも見ておくかという時しか使わない。ただし、旅の途中でのベギラマは結構役に立つ。一方イオラは弱い。

 自分はわりと一点集中や一発逆転が好きなので、反動があるけど強い技が好きだからこのように思うのかもしれない。だから、ポケモンならはかいこうせんハイドロポンプだ。宝くじも当てたいし、株を買うならインデックス銘柄ではなく個別銘柄に結構かたよって突っ込む。陰謀論とかも、本当に一発逆転できるなら普通に振りかざすだろう。

 ベギラゴンを使いこなし、かっこよくかつ効果的に敵を倒している人がいたら話を聞いてみたいものだ。

一日一時間の車の運転練習を自分に課そうかな

 

車の運転ができるようになりたい。

27歳のときに車の免許を取った。25歳で働きだして、金もたまったし免許くらい取るかというつもりで取りに行った。その時勤めてた会社の変な女が、俺が免許取りに行ってるというのを知って、対抗したのか触発されたのか知らんけど免許取りに行き始めたのが嫌だった。

 

免許取ってからというもの、ごくたまに運転するけど楽しく運転できることは少ない。取ってから1年しないくらいのときに、自力で引っ越ししようとして車を借りた。そのとき、ハイエースを使えればよかったけど、怖かったから小さいバンで2往復する作戦を立てた。そしたら、2往復目の行きで引っ越しの積み下ろしの疲れなどもあり事故った。どんな事故かというと、路肩に止まったトラックに、自分のサイドミラーを引っ掛けて吹き飛ばすというもの。トラックは無傷でどこにぶつけたかわからないくらいだったのでそれは良かったけど、警察呼んでレッカー呼んで、引っ越し荷物を載せ替える車を手配して…と大変疲れた。

そういう経験があるから、実家に帰って車に乗ろうとしても、家族はいい顔をせず、常に酒を飲ませて車に乗せないようにしてくる。それに、いざ乗ったら横からいろいろいわれてうるさい。

 

それもこれも、運転がうまくできればいいだけの話なんだから、練習をすればいいのだ。カーシェアの会員で、毎月会費880円を支払っている。これを無駄にしないために、車を手配して乗ればいい。歩いて3分のところにカーシェアの駐車場はあるし。

しかしこのツイートをしてから1週間、1秒と車のことを考えてない。行きたいところもない。

体力Aやる気C気持ちE


「気持ちE」が好き。偏執しているといってもいいくらい好きで、類似したものをなんどもTwitterに投稿していると思う。

 過去の記事でも似たようなものを紹介したけど、今回はこういう遊びを自分がどう捉えているのかということをさっき思いついたので書く。

 

 自分は「気持ちE」のことが好きだしおもしろいと思っているが、べつに一攫千金を狙えるようなおもしろさではないことはよくわかっている。一攫千金どころか、となりに座っている会社の同僚にさえおもしろさを共有してもらえるかどうかもあやしい。でも自分にとっては確かにおもしろい。そんな感じのおもしろなのに、何年もTwitterをこういうふうに使っている。

 Twitterをやっていると、この言うなればしょぼいおもしろさ(自分にとっては大切なおもしろさなんだけど)を共有してくれる人がたまに現れて、フォロー・フォロワーの関係になることがあり、やりとりも生まれる。それはおもしろくて喜ばしいんだけど、でもよくよく考えるとそこは主目的じゃない。副産物。ゆくゆくはこういう副産物が大切なものになっていくものだし、なによりいい人たちなので、ないがしろにする気はないけれど。

 一方で、こういうおもしろがなぜおもしろいのかを分析するのもいいのだけれど、それによって最初に意図したおもしろさが増えることはほとんどない(別方向の深みが出てくることはありえるけど)。ややもすると、対象をこねくり回すことで自分がそれに飽きてしまい、おもしろいと感じる気持ちが薄れてしまう危険さえある。それだけはなんとしても避けたい。

 じゃあ自分はこの遊びをどう捉えているのかしら。DQ3の序盤で出てくるアルミラージくらいの、おもしろ界での雑魚キャラであるような「気持ちE」とか「ヤキーモ」とかいったものをTwitterに投稿し続けている、そのモチベーションや動力源は、いったいなんなのか。

 

 自分のような雑魚キャラには、自分の機嫌を取ってくれる人なんていないし、そもそも取ってもらおうとも思わないけど、機嫌を取らなくては暮らしていかれない。 機嫌よくなるためには「なんだかおもしろい」ことを「していなくては」。人によっては「自分で何かしなくても、おもしろいものを観たり読んだりしたらいい」と思うかもしれないけど、自分は「何かしたい」。

 そこで、「なんだかおもしろい」と感じるフレーズ集を「つくること」と「保存しておくこと」がたいへん大切になってくる。つくることで「何かしてる」感が出て、保存することで「あとで見て機嫌よくなる」ことができる。ここが主目的なんだろう、と思う。

 そしてもうひとつ。この遊びには、「連想」の効果がとても重要。小さいおもしろは、連想をくりかえしていくことですこしずつストーリーというか、別の意味が生まれて、長いおもしろになることもある(大きくなることはめったにないと思うけど)。冒頭に挙げた「気持ちE」も、最初に生まれたときは単体だったのに、「体力A、やる気C」と組み合わさることでちょっとした意味が追加されて長くなった。

 

 機嫌がいいとうまく連想ができ、意味が新しく生まれる。言葉遊びで種をまいておき、あとでそれをみたときに、「自分の機嫌をよくする」、「連想して意味が生まれる」という二つの効果が期待できる。小さくて狭い、間取りでいうと4畳半で共用便所くらいの感じの世界だけど、ここにエコシステムが出来上がっている。正のフィードバックループだ。

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 この遊びを自分はこうやって理解しているという話でした。

 

終わりです。

うちのお父さん、ハローワークのことをホワイトロリータと言い間違えていた

 うちの父はかなりユニークな人で、彼が僕の人格に与えた影響は計り知れません。普段使いの語彙のレベルから物事の把握のしかたまでとても広い範囲です。今回は見返してたら面白かったので、お父さんツイート総集編みたいなかたちです。

 

 

あたり前田のクラッカー、あったりまえのコンコンチキ、あったりきしゃりき(当たり前の言い方が3種類もある)と言ったり、天ぷらとフライの違いがわからなかったり、5月29日(こんにゃくの日)生まれなのにこんにゃくが嫌いだったりします。あと最近は、誰にも相談なく百数十万?のインプラント治療を契約して、奥歯をゲットしようとしていました。

 

以上です。

社会を挙げてバカと貧乏人は死ねって言ってきてる感じするんだよな



20歳くらいから基本的に自分でつくれるお金だけで暮らすようになって、それからおよそ10年間これをずっと感じていた。
結構まえに、実験思考(光本勇介 幻冬舎)という本がKindleでタダだったから読んだら、そう書いてあった。さまざまなアイデアを出してさまざまな事業を起こしている人の著作のなかの一部に、こんなことが書いてある。

「世の中にはその日の一万円、二万円に困っている人がいる。ぼくはそのニーズに応えるようなサービスをつくれればいいのではないかと思う。たとえば、今このときに旅行のチケットを無料で取れるようにする。そして旅行に行ったあと、手数料とともにその代金をもらう。これでビジネスとして成立する。」

要約すると、貧乏人からどうやってさらにお金をむしり取ろうかな♪ということです。
こういう人同士が、成功していてすごいですね!と言い合う界隈があることや、実際にお金をGetしてこんな本を出版してるんだなぁ、と思うと、やっぱ構造的にバカと貧乏人は死ねってことになってるように思えます。
すべての現象には終わりがあってほしいが…

がんばるしかないんですよ!!!

 「川の底からこんにちは」という映画を見ました。このお話の主人公である木村佐和子(満島ひかり)という女性が、がんばるしかないからがんばる、という物語。

 もう少し丁寧に説明します。やむにやまれぬ事情(駆け落ち)で実家を飛び出した佐和子が、やむにやまれぬ事情(父の病気)で実家にもどり、父の経営するしじみ工場をつぐことになる。駆け落ちで出戻ったもんだから、田舎での評判はサイアク、さまざまなことがやりにくいけど、「どうせ中の下だしがんばるしかない」ということでがんばる。がんばると、しじみ工場従業員たちの評価も変わり、けっこううまくいく、というお話です。

 この物語の白眉は、佐和子さんがしじみ工場の朝礼で、非協力的な従業員たちに一発かますシーンです。

「あ、すいませんけどちょっと聞いてください。はい。あ、こんにちは。駆け落ちした女です。いやみなさんあたしが駆け落ちした女だとか、親を捨てた女だとかさんざん言ってますけど、好きだったんですよ!すっごい好きで、18だったし、青春の勢いに任せてさ、駆け落ちしちゃったんですよ!でも、あのなんか、テニス部のキャプテンで、すっごい…表面上かっこよかったから、青春の勢いでさ、バカだし?駆け落ちしちゃうことだってありますよねぇ!?え、しかもともみからとっちゃったんですけどね。すみません。でもですよ、でも!結果的にはそれは失敗だったかもしれないですよ。でも、あたしなんて所詮、中の下の女ですからね!はい。でも、逆に中の下じゃない人生送ってる人なんているんですか?じゃあいたら手ぇ挙げてください、はい!手ぇ挙げてください。…ほら。ほらいないでしょ?ほらみんな、普通の人なんですって。なんかみんな普通より、たぶんちょっと下なんですって。でもさ、それの何が悪いんですか?もうあたしなんてさ、何回男に捨てられてもさ、がんばりますからね。ていうか、がんばるしかないんですから!!!じゃあちょっと、着替えてきますから。」

 映画の1時間15分くらいからのところです。文字に起こすとちょっとマイルドになっちゃったんですが、佐和子さんの迫真のしゃべりはすごかったです。

 これをみて、がんばるしかなさすぎクソワロタ、と思いました。