それっていったい何だったのか

私のツイッター(id:nattogohan_suki)の、ツイートしたときの気持ちを解説します。

おれのアイデンティティが、おしりプリプリになってきている。日々まじないのように言われ続けて

 

 ふとんにうつぶせになっているときに「お尻プリプリ」と言われたら、尻を左右に振る。それがぼくたちのルールです。でも、ぼくは自発的にお尻プリプリと言うことは少ないし、ぼくが見たときにはすでにプリプリしていることが多い。だから、「お尻プリプリ」→お尻プリプリのながれになる場合、お尻をプリプリするのはぼくということになる。

 この「お尻プリプリ」を、まじないのように言われ続けて、だんだんお尻がほんとうにプリプリしてきている気がするし、なにより気持ちの上で、お尻プリプリになってきたような気がする。

アルファベットの略称の初出に日本語だけついてても覚えられません

OECD(経済開発協力機構)と書いてあっても無理だと思うんですよ。OECD(Organisation for Economic Co-operation and Development,経済開発協力機構)じゃないと。略すなら経開協機構とかじゃないと日本語としては厳しいと思います。だってOECDと経済開発協力機構のあいだに意味的なつながり一個もないじゃないですか。

OECD→(英語フルスペル)→(和訳)→経済開発協力機構」だったら思い出す余地あるじゃないですか。

 

でも、もう愛してないんだよ?そんな、そんなの、勝手じゃない…

 

ダメジンという映画があります。

 

このツイートは、ダメジンの中に出てくる工場長と猫じじいとの間の会話です。

ダメジンは、準ホームレスの三人が猫じじいに「インドへ行け」と言われてインドを目指してちょっと頑張るけど結局インドへ行かないという映画です。

この映画がぼくに与えた影響は計り知れません。

アマゾンプライムビデオやネットフリックスでは見れないですが、TSUTAYAで100円で借りれるのでぜひ見てみてください。

ヤキーモ

 

焼き芋→ヤキイモ(yakiimo)→ヤキーモ

皿洗い→サラアライ(saraarai)→サラーライ

言葉の正しい表記から離れて音だけを表現する書き方に変更するのが好き。ただ単に全部をカタカナにするだけでは特に面白くなくて、一部を音引きに変更できるものを常に探している。「ベ→ヴェ」が同時に含まれるものなどは特によい(お弁当→オヴェントー)。

 

ほかにも、表記の一部をアルファベットに変更できるものも好き。

この「もうE」は、2016年から数えて五回もつぶやいている。

いい(良い)をEに変更するのはとても簡単なのだけれど、これの最高峰はいまのところ「かっこいい→(E)」の変換である。詳細は覚えていないが、『とっても!ラッキーマン』の2巻か3巻に、カッコマンというヒーローが出てくる。このカッコマンは、顔が(E)の形をモチーフにデザインされている(ちなみにカッコマンは「カッコとじバズーカ」というビーム攻撃が必殺技である)。

ダジャレや韻律だとか、表記をみたときの心地よさに関する、僕がもつ感度の大部分は、『とっても!ラッキーマン』が形づくったといっても過言ではない。

 

その他にも、愛している言葉遊びの方法の一つに「マラプロピズム(誤用法)」というものがある。

このような、言葉の一部を別のものに置き換えるとなんだかおもしろい、という効果のことである。

 

こういった営みは「なんだかおもしろい」という点にどうしても依存してしまうので、なんだかおもしろいと思えない人にとっては一切がムダであり、話を聞く価値もないことになる。残念ではあるが、しかたのないことでもある。

パーソナライザーとしての私

iOSが新しくなって、パーソナライズ機能がすごくなったらしいです。しかし、パーソナライズするのは結局俺なんだよね、と思った。そうするとなんのことだろうとすべてパーソナライズするのは俺なんじゃんということになった。

趣味はパーソナライズ(=人生)です。人生をパーソナライズ(=人生)しています。今後ともよろしくお願い申し上げます。

手のひらに握りこぶしの側面をうちつける動作

新宿から、初台の方にむかって15分ほど歩くとペットショップがある。その道のりには大きくて豪華なホテルがたくさん建っていた。通行人は多様。途中で女子高生に抜かされたが、信号待ちで追いついた。追いつく直前に、手のひらに握りこぶしの側面をうちつける動作(いわゆるなるほどの動作)をとってみた。なにかわかるかと思ってその動作をとったわけではなく、あくまで理由なく自発的に(もっといえば発作的に)その動作は行われた。

動作をとったあと、「なにかわかるかと思ったのに」という思いと、本当に小さなものではあるが、落胆のような感情が湧いたことに気がついた。最近はこんなふうに、なにかにすがりたいような気持ちが日常動作の端々に見えてしまう。

ペットショップには、目的だったハムスターのエサは置いていなかった。ハムスターの公太郎は、ひまわりの種ばかり食べるので最近太ってきた。ダイエットのために健康的なごはんを用意してあげたかった。

見知らぬ人にウケるのがいちばんいいな



このあいだ電車に乗ってたら、降りぎわに135mlのちっちゃい缶ビールをばらまいてしまった人がいました。僕も手伝って一通り拾って、彼は無事降りていき、あぁやれやれと席につきました。しばらく座っていると、足下に缶が一本転がっていたのでそれを拾って持っていました。
向かいに座っていた女性二人組がそれに気づき、「あの人缶ビールひろったよ」という感じでこちらをチラチラ見ながら話していました。僕はおもしろくなってこれ見よがしに缶を開けてグイッとビールを飲み干したところ、その女性たちは二人で結構笑っていました。顔が赤くなるくらい。

今考えると完全に異常者だし、拾得物横領だし、そんな人が電車にいたら近づきたくないんですけど、そのときたしかにこれ以上ないうれしさを感じました。